近づく最期の日


(秋の上高地)

今朝、早くに病院から着信がありました。


父の酸素がかなり下がってきて
酸素マスクを付けている状態だけど、もう酸素レベルの上限まで上げていて
それでも苦しい状態だと一報を受け病院へ行ってみたら
ナースステーションと隣接している個室に移動していて
呼吸器にさらにビニール袋みたいなカバーがはめられていました。

父は先月は退院できる予定で、その後退院前検査で腎臓の悪化が発覚し
先生からも衰弱がかなり進んでいると説明を受け
病院側もはっきりした事言わないし!(う~ん、医療行為が終わった時点ではすぐに退院していただかないと~時期はすぐでは…転院は~中々見つからないと思うので~…な具合で!)

前々から転院を望んでいたのにまったく転院の経過連絡は来なくて
金曜日に先生に思い切って聞いてみました。
先生が「来週には点滴が取れなくなると思うので、そこが医学的に…」

医学的に~と色々説明は受けてもよく分からないので
突っ込んで聞いてみたら
「おそらく…来月の引越しまで持つかどうか…」


やっぱり…と思いました。
そりゃあ待っても待っても転院の連絡が来ないわけだし
それなら今までの「帰宅後のサービスあれこれそれ…」の話は何だったの!!
と私は久しぶりに怒りが込み上げてきましたが
父の様子みても、怒ったってどうしようもならない事だし
精一杯最後までがんばらなきゃなと思いました。


先週まではいつも通りだったのに、土曜日からは全身が浮腫んで
(点滴をするにも血管がない)
今朝はかなり衰弱が進行してきました。


もう5年も寝たきりの介護生活だったので
覚悟というか、近い将来はそうなるだろうと思っていましたが
母はものすごく弱っていました。
今朝、母がバックから父の写真を取り出して見ていたのですが
父の写真やPちゃんの写真まで、常日頃持ち歩いていた事を私は知りませんでした。


私はPちゃんの事も心配していたのですが
小児喘息でよく病院にお世話になっているせいか、治療室特有の雰囲気やモニターにもまったく動じず
おじいちゃんを沢山心配してくれました。


私と父はあまり昔から会話をせず、(父が緘黙な性格な事もあって)
特にこれといって正直に思い出もなかったんです。
(本当に母と喧嘩する事しか思い出せません)

でもふと今、父が描いた絵を見て
あんまり娘らしいことをしなかったな、と思います。


(父の描いた上高地)


いつもの私とどこか違うと察した?Pちゃんは
私よりも家の事を色々手伝ってくれて
寝る前に
「おじいちゃんの顔見せて!」
と病室にいるおばあちゃんにFaceTimeして眠りにつきました。



あしたはいつも通りのママになりたいな…

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